【宮治の自分史 #05】大学アルバイト編
2019年6月21日
カテゴリー: 自分史
「こんな人生歩んできました」と自己紹介を兼ねてスタートした「宮治の自分史シリーズ」。
連載5回目となる今回は、ぎょうざと共に歩んだ「大学時代のアルバイトのエピソード」をご紹介します。
★参考情報:「宮治の自分史」シリーズの記事一覧
「天の声」で決めたアルバイト
私が大学生になったのは、1996年です。
1996年と言えば、「海の日」が施行されたり、「東京ビックサイト」ができたり、「Yahoo!Japan」がサービスを開始したりと、今ではあたり前に存在しているものが色々と誕生した年だったりします。
当時流行っていたものは、アムラーファッションやルーズソックス、ポケモンやたまごっちなどで、私はプリクラにハマっていました。
想い出していくと、何だか懐かしいですね。
あと、大学生になったことで、ちょっぴり大人気分になりました。
「大人ならやっぱりカッコいいもの持ちたいよね!」と、ポケベルからPHSに乗り換えた記憶もあります。
完全にカタチから入るタイプです(笑)
そして、大学生になったらやってみたかったことのひとつが、アルバイトです。
本当は入学と同時に始めたかったのですが、思ったよりも大学生活に慣れるまで時間がかかったのと、高校3年の冬から通い始めた運転免許教習所が補講続きで卒業できていなかったこともあり、実際に動き始めたのは大学1年の6月頃でした。
ただ「動き始めたと言ってもね」というのが正直なところで。
当時は働いた経験もなく「世の中にどんな仕事が存在しているのか」「大学生ができる仕事が何なのか」ということも全く理解していませんでした。
何をしたらよいのかすら全く分からず、とにかく途方に暮れていたのを覚えています。
「私って、ものすごく世間知らずだなー」と思って落ち込みもしましたが、友達からアルバイト情報誌なるものがあると聞き、本屋に行くことから始めました。
本屋さんでドキドキしながらアルバイト情報誌と履歴書を買い、張り切って求人情報を見たのですが、まず情報量の多さにビックリ!
自宅から徒歩圏内と絞っても、飲食店だけでも40件以上あり、さらに飲食以外の接客・販売の仕事も合わせると100件以上の求人で、全く選べませんでした。
「選択肢が多すぎると選べない」というのはまさにこのことですね。
母にも相談したりしながら、延々と悩み続けること1週間。
求人情報を見ながら、突然「あるもの」が頭に浮かんできました。
それは何か……。
全く意味不明なのですが、実は「ぎょうざ」です。
確かに私は無類のぎょうざ好き。
とは言え、なぜ求人情報を眺めながら「ぎょうざ」が頭に浮かんだのか、今でも不思議です。
でも「そうか!好きなことを仕事にすればいいのか!」と妙に腹落ちした途端、応募企業が決まりました。
ずばり!
ぎょうざとカレーの「みよしの」で、「札幌でぎょうざとカレーなら、絶対みよしの」と言っても過言ではないほど、地元に根差した人気チェーン店です。
ケンミンショーでも紹介されていた「ぎょうざカレー」のお店、というと道外の方もピンとくる方もいらっしゃるかと思います。
「ぎょうざもカレーも大好き!」というだけでワクワクしたことを、今でもはっきり覚えています。
一方で実家で暮らしていた時は、全く家事をやっていなかったので、飲食店のアルバイトが務まるのかとてもつもなく強い不安を感じていたというのが庄司なところです。
ワクワクく感と不安な気持ちに揺れて数日迷いましたが、最後はぎょうざのことしか考えられなかったので、思い切って応募することにしました。
手探りだった企業エントリー
現在はキャリアコンサルタントとしても活動していますので、履歴書も面接も日常的なものなのですが、当時は100%手探りでした。
はじめての履歴書は、本屋さんで買った対策本を参考に書きましたが、今ならわざわざ本を買わなくてもネットで調べればいくらでも情報が出てくることを考えると、時代の流れをシミジミ感じたりもします。
私は比較検討したいタイプなので、ほとんど同じことしか書いてないのに3冊も対策本を買って、後悔がないよう丁寧に履歴書を書いて、面接の準備をしました。
「絶対みよしのでアルバイトする!」と、それ以外のアルバイト先は全く考えられなかったので、できる準備は全部やりたかったんですよね。
こうしてかなり前のめりに面接に臨んだのですが、実際は想像とは全く違いカジュアルすぎる面接でした。
カジュアルすぎるというのは、私が勝手に就職対策本で準備をしていたからそう感じただけですが、担当の方に「スーツで来る人、あんまりいないよ……笑」と言われるくらい、完全に場違いでした。
頑張る方向を間違えていたみたいです。
面接自体は雑談のようなで進み、和やかに終わったので手ごたえはあったものの、明らかに場違いな感じだったのは否めないので、面接後は複雑な心境でした。
面接後の結果連絡は3日後で、連絡が来るまでは家の電話が鳴るたびにドキドキしてましたね。
結果が気になり過ぎて他のことが手につかず、集中力を欠いた2日を経て……。
ついに面接から3日後の午前中に合格連絡をいただくことができました!
この日はおじいちゃんと出かける予定があったので、その場におじいちゃんもいたのですが、一緒に喜んでくれたのが、本当に嬉しかったです。
「わざわざアルバイトする必要ない」と否定的だったおじいちゃんですが、「合格」という言葉に嬉しくなったようで、「がんばれ!」と言ってくれました。
こうして「天の声」に導かれるように「みよしの」でのアルバイトがはじまりました。
▲今でもみよしのは大好きで、よく食べに行っています。私がアルバイトしていた時よりもメニューが増えているので、当時と同じように働ける自信はありませんが、お客さんとしてこれからもたくさん通います。
社会人の基礎は「みよしの」で身に付けた
こうして念願のアルバイトを始めた私ですが、最初の3か月は本当にきつかったです。
皿洗いも満足にできない私がダメダメだっただけなのですが、何をやってもうまくできず、店長や同僚に呆れられる日々。
アルバイトをはじめた時にお世話になった店長は、本当に厳しい方で、指摘の言葉も矢のごとく胸に突き刺さってきました。
ただ「怒られている」という感覚は全くありませんでした。
とても厳しい方でしたが、それ以上に愛情深い方だなという印象が強く、できない私がどうやったらできるようになるのか「根気よく教え方を工夫してくれていた」と、今ならわかります。
(当時は必死過ぎて全く気付くことすらできませんでしたが……。)
店長は元々退職が決まっていたので、お世話になったのは3か月となりますが、間違いなく社会人としての心構えから、仕事の手順、接客の基本を教え込んでくれました。
退職される時「よく辞めずに頑張ったね。次の店長は優しいから、甘えずに頑張るんだよ。」と声をかけてくれたのが、とても心に残っています。
新しい店長は、前評判通り本当に優しい方で、太陽のようでした。
店長がいるだけでお店が明るくなり、心穏やかに食事を楽しめる雰囲気が生まれたり、お客様の笑顔も増えたと思います。
新しい店長からも色々なことを教えていただきましたが、私が今でも感謝しているのは仕事に取り組む姿勢です。
職場に来る前にどれだけ落ち込んだことがあっても、イライラすることがあっても、それは目の前のお客様には関係のないこと。
気持ちの切り替えをして、最高の接客をするということを背中で見せ続けてくれました。
大学生の頃は結構多感な時期で、セルフコントロールがうまくいかないことも多かったので、店長から学ぶことは本当に多かったです。
あと、アルバイトの同僚にもとても恵まれましたね。
大学も学年も違う同僚でしたが、そのおかげで交流範囲が広がり、一段と大学生活を楽しめて、たくさんの想い出もできました。
アルバイト以外でも遊べる友達ができるとは思っていなかったので、嬉しかったです。
今でも年賀状のやり取りをしたり、SNSで近況を知れたりと、縁が続いていることに感謝しています。
店長も70代になっても現役で元気!
とても励みになっています。
みよしので働き始めた当初は「社会勉強のために3か所くらい違う場所で働いてみたいな」と思っていたのですが、すっかり居心地がよくて結局お店が閉店することになった大学4年生の夏までずっと働きました。
アルバイトはみよしのだけになりましたが、とても濃く充実した時間を過ごすことができたので、「ぎょうざ」に導かれて本当によかったと思っています。
この経験があるからこそ、今でもたまに降ってくる「天の声」には耳を傾けることが多いです。
次回の「自分史シリーズ」では、大学の学生生活について振り返っていきます。
不定期更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。
▲懐かしの制服姿!今はもっとスタイリッシュな制服になっているので、これは貴重な1枚ですね。制服に合わせていたチノパンは母から「ぎょうざズボン」と呼ばれ、特別にこれだけ別に洗濯されていました。それくらいぎょうざが染み込んでいたということです(笑) 週4~5日アルバイトに行っていたのに、毎回洗濯をしてくれた母にも感謝しています。
●プロフィール
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宮治 有希乃
組織育成パートナー
ITベンチャーと人材ビジネス業界で11年間、組織人事・キャリア領域に取り組み、2018年に独立。現在は中小企業向けに、関係の質を高める組織育成プログラムを提供中。「関係の質」を高める「コミュニケーションスタイル診断」を活用し、研修やコンサルティングを通じて組織パフォーマンスの向上と健全な職場環境づくりを支援している。