【宮治の自分史 #07】新卒就活編
2019年11月22日
カテゴリー: 自分史
「こんな人生歩んできました」と自己紹介を兼ねてスタートした「宮治の自分史シリーズ」。
かなりひっそりと不定期で更新を続けているシリーズですが、今回の記事で学生時代を締めくくります。
「いつになったら現在になるのか……」という見通し不確かなシリーズですが、更新を待っていただいている方も多いので、気長に更新していきます。
ということで、連載7回目となる今回は、大学3年生~4年生の時に行った「就職活動」についてご紹介します。
★参考情報:「宮治の自分史」シリーズの記事一覧
パンツスーツ論争
高校生の頃から教師になることを目標に大学に進学した私は、全く就職活動に興味を持っていませんでした。
確か大学3年生の秋頃からキャリアセンター主催の就職活動に関するセミナー(以下、就活セミナー)が開催されていて、そのあたりから友達との話にも「就職どうする?」という話題があがってきたように思いますが、どこか他人事だった記憶が残っています。
ただ教員試験一本を貫く覚悟と勇気が私にはなく、何となく一般的な就職活動の基本は抑えておこうと就活セミナーには参加していました。
就活セミナーでは、履歴書の書き方や業界研究などを中心に教えていただきましたが……。
とにかくつまらなかった。笑
一番印象に残っているのは女性の担当者に「女性は必ずスカートで!スカートじゃないと内定はもらえません」と断言されたことです。
私は就職活動中、基本的にパンツスーツを愛用していたので「なぜスカートを履かないのか?」と事あるごとに注意を受けていました。
「なぜスカートを履く必要があるのか?」と質問しても「女性だから当たり前でしょ」と会話が成り立ちません。
ガンコな私は最後までパンツスーツを貫きましたが、特に不都合を感じたことはありませんでした。
実際に社会人になって採用担当をするようになってから改めて実感しましたが、パンツスタイルでもスカートでも清潔感があれば全く気にならないです。
むしろみんな同じ服装、同じ髪型、メイクの仕方まで一緒……みんな同じに見えてしまっては印象に残りません。
もちろん業界や企業によって服装の指定がある場合はそれに沿う必要があると思いますが、逆に「私服で選考にきてください」という企業も増えてきています。
就職活動は「相手に不快感を与えない清潔感があり、ニュートラルな自分を表現できる服装が良いのでは?」というのが私の見解で、20年前から今までずっと共通して感じていることです。
この女性担当者とのやり取りは、キャリアコンサルタントとして大学生の就活支援にも携わることになった時に、反面教師として活かしています。
合同企業説明会は友達の付き添いで
大学生の就活支援をしていると「宮治さんは就職活動の時に何を大切にしていましたか?」と良く質問されるのですが、正直なところ大切にしていたことは何もありませんでした。
というのも私の就職活動は、場当たり的で無計画過ぎたからです。
教員試験の保険的な位置づけで就職活動を考えていたので、業界研究もほとんどせず「食べることが好きだから」という理由だけで飲食業界の情報だけ調べていました。
「普段利用しているお店のことがもっと分かるかも?」という単純な動機で調べた会社は、日本マクドナルドとびっくりドンキーのアレフだけ。
しかも特にエントリーすることもなく、就活セミナーで履歴書を書く練習をする時の題材にして終わりです。
あと1か月で4年生になるというタイミングで、まわりの友達は続々と合同企業説明会にも参加し始めていましたが、私はどうも気乗りせず「4年生になってからでもいいかな」と適当に考えていました。
そんなある日のことです。
午前中で講義が終わる日だったので、そそくさと帰宅しようと校門前のバス停でバスを待っていた時、友達から猛烈な誘いを受けました。
「今から合説付き合って!!」
「合説って何?!」というくらい本当に就職活動に無頓着だったので、それが合同企業説明会だと気づくまで若干タイムラグが発生していたのはここだけの話です。笑
興味ゼロ、準備ゼロで合同企業説明会に行く意味を見い出せなかったので、悩むことなく「私は行かない」と断りました。
ところが友達から「お願いだから一緒に行こう」とかなり熱烈に誘われ、バスに乗った後も「付き添って欲しい」と懇願され、結局バスを降りた頃には根負けした状態になりました。
その日たまたまスーツを着ていたので「何か意味があったのか?」「何かの縁なのか?」といまだに不思議なのですが、友達に付き添って合同企業説明会へ行ってみることにしたのです。
履歴書も持っておらず、企業情報も何も調べずに行くことに不安もありましたが、一方でこの急な展開を楽しんでいるのも事実で、何とも複雑な心境だった覚えがあります。
そして会場に到着した瞬間、さらに複雑な心境になりました。
想像をはるかに超える真剣なエネルギーが会場全体を包み込んでいたからです。
プロの呼び込みに飲み込まれる
完全に場違いなところに来た気まずさを感じながらも会場内を歩いていると、ものすごく派手な装飾で飾られたブースが目に飛び込んできました。
そしてそ満面の笑みで近寄ってくる女性。
「お話しだけでも聞いていきませんか?」
そう言って半ば強引に派手なブースに連れ込まれ、気付いたら会社名も分からずに最前列に座っていました。
その一連の誘導は、今思えば完全なるプロ。
常に学生が溢れているのも納得のブース運営でした。
(個人的このやり方は好きではないですが……。)
こうして流されるままに説明を聞くことになった企業は、パソコンスクールを全国展開しているアビバです。
当時業界最大手の企業で、イメージキャラクターは加藤茶さんと山田まりやさん。
おばあちゃんの格好をした加藤茶さん(アビ婆)と言えばピンとくる方もいるかもしれません。
印象としてはとにかく派手。
潤沢にお金を使ってプロモーションをしているんだなと学生ながらにも感じました。
説明会を聞いただけで、アビ婆の携帯ストラップとクリアファイルをもらった記憶もあります。
エネルギッシュな説明を聞き終わり帰ろうとすると、またもや満面の笑みで近寄ってくる女性がいました。
「明日もう少し詳しい説明会を開きます。絶対来てくださいね。」
笑顔だけど圧の強い目力に押され、力強く握手を求められてビックリ!
「行かないと果てしなく追いかけられそうだな」という想いもあって、翌日詳しい説明を聞きに指定場所に向かうことにしました。
教員志望の気持ちが静かに揺らぐ
あくまでも説明会だと思っていった会場は、一次試験会場でした。
しかもほとんど勉強していない筆記試験と小論文。
完全に血の気が引いたとともに「これが社会人の巧妙な手口なのか」と騙された気持ちでいっぱいになりました。
この経験もあって採用担当者として関わる時は「選考ステップは正確に」「可能な限り具体的に伝えよう」と心がけるようにしているので無駄な経験だとは思っていませんが、当時の私にはショッキングな出来事でしかありません。
ただ受付まで済ませてしまっているので、ここで帰る勇気もない。
もうヤケクソで筆記試験と小論文を受験することにしました。
筆記試験対策はほとんどしていなかったのでボロボロ。
選択問題は山勘で、記述問題は空欄のままという問題も多かったです。
小論文は高校生の時から比較的得意分野だったので、とりあえず書けるだけ書いてきました。
全く手ごたえがなかったことが面白すぎて「これはネタになるし、面白い経験ができた」と私の中ではそこで終わるはずだったのですが…。
数日後、自宅に一次試験を通過したとハガキが届きました。
驚きすぎて爆笑した記憶があるのですが「通過=合格」ということが純粋に嬉しくて、二次試験も受けてみたら、二次試験も通過。
確かグループディスカッションだったのですが、他の学生と一緒に選考を受けるようになって私の負けず嫌いがムクムクと湧き、事前準備にも熱が入り始めたことに自分でもビックリしています。
そして三次、四次も通過し、気付いたら最終面接まで選考が進んでいました。
最終面接を前にそれまでの選考を振り返った時、自分の中で心境の変化が起きていることにハッとした記憶があります。
四次面接までは面接のたびに面接用にとりあえず作った志望動機を伝えてきましたが、最終面接を受ける頃には「教員よりもやりがいがあるかもしれない」と確信でき、面接用のセリフではなく、本心から「入社したい」という想いが溢れていたのです。
こうして騙まし討ちあったような始まりではありましたが、一次試験から最終面接まで5ステップの選考を受ける機会に恵まれ、大学4年生のゴールデンウィーク明けに内定をいただくことができました。
幅広い世代の方に関わりたいという想い
私が面接用にとりあえず作った志望動機は、最終的に本音の志望動機に変わっていきました。
教員の場合、主に関わるのは高校生だけれども、老若男女幅広い世代の人とかかわりの持てる仕事がしたい。
同じ教育という分野で、これからの時代に欠かせないパソコンを通じて多くの人に貢献できる環境で働いてみたい。
かなりざっくりな表現になっていますが、概ねこのような志を持って、私はアビバに入社することを決めました。
そして結局、合格を目指して勉強していた教員試験は受験しませんでした。
パソコンインストラクターになると決めたので、教員試験の勉強をするよりもパソコンの勉強をしたいと考えたからです。
……というのは綺麗ごと。
正直なところ逃げただけだと思っています。
教員試験を受けても合格できる保証はない。
もし不合格だった場合、臨時教師の道に挑戦するという選択肢があるものの不安定で先行き不透明。
それよりも確実に社会人になれて自立できる道を選んだ方がいいのではないか。
教員ではなくても教員を目指した志は体現できるのではないか。
色んな想いが頭と心をグルグル駆け巡り、衝突し、調和され、最終結論に至りました。
「逃げただけだな」という負の感情を持ちながらも、自分なりに真剣に考えた出した結論なので、今でも後悔はしていません。
友達に付き添って行った合同企業説明会をきっかけに思いがけず始まった就職活動は、約2ヵ月で終了しました。
就職氷河期だった中で内定が取れたのは、流れに身を委ねて勢いに乗ったことが大きな要因だったと振り返っています。
3回にわたりまとめてきた大学編も終わり、次回の「自分史シリーズ」からは社会人編に入っていきます。
まずは「新卒パソコンインストラクター編」でアビバ時代のことをご紹介!
不定期更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。
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宮治 有希乃
組織育成パートナー
ITベンチャーと人材ビジネス業界で11年間、組織人事・キャリア領域に取り組み、2018年に独立。現在は中小企業向けに、関係の質を高める組織育成プログラムを提供中。「関係の質」を高める「コミュニケーションスタイル診断」を活用し、研修やコンサルティングを通じて組織パフォーマンスの向上と健全な職場環境づくりを支援している。