【宮治の自分史 #08】新卒パソコンインストラクター編

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「こんな人生歩んできました」と自己紹介を兼ねてスタートした「宮治の自分史シリーズ」。

かなりひっそりと不定期で更新を続けているシリーズですが、気付けば前回の更新から9か月。

「いつになったら現在になるのか……」という見通し不確かなシリーズですが、更新を待っていただいている方も多いので、気長に更新していきます。

ということで、連載8回目の今回は、大学卒業後に就職した会社での3年間を「新卒パソコンインストラクター編」をご紹介します。

★参考情報:「宮治の自分史」シリーズの記事一覧

入社前の東京研修

高校生の頃から教員希望だった私。

流れに身を委ねて勢いに乗った結果、大学卒業後は当時業界最大手だったパソコンスクール「アビバ」に就職しました。

全国各地に500名以上の同期がいたので、超氷河期としては勢いのある会社だったと思います。

入社予定日は2000年4月でしたが、入社前に5週間の東京研修があったので、実質2000年2月から社会人としての生活がスタート!

札幌エリアの同期は16名で、3つのグループに分かれ時期をずらして東京に向かいました。

5週間の研修は、パソコンインストラクターとして授業ができるようになるためのトレーニングでしたが、正直なところ内容をあまり覚えていません。

サボっていたわけではないのですが、内定が出てからパソコンスクールに通って一通りのパソコンスキルを習得していたこともあり、あまり印象に残ることがなかったというのが正直なところ……。

ただ全国各地の同期と楽しく過ごしたことは鮮明に思い出せます。

研修の合間の休憩時間や研修後のたわいもないおしゃべり、週末になるたびに観光スポットに遊びに行ったこと。

お台場、品川水族館、横浜中華街と本当に楽しかったですね。

どこに行っても、人・人・人でビックリしながらも都会の休日を満喫できて充実の5週間でした。

私は同期の中でなぜか一人だけ合同社宅ではなくマンスリーマンションでの生活だったので、特にみんなで集まれる週末が待ち遠しく、想い出もたくさんです。

あと、この研修で初めてひとり暮らしも経験できたのも貴重な経験になりました。

結婚するまで実家暮らしだったこともあり、今のところ人生唯一のひとり暮らしがこの5週間。

そう考えると共同社宅ではなく、マンスリーマンションだったことにも何か意味があったのかもしれませんね。

磨かれたマルチタスク力

2000年4月1日。

ミレニアムイヤーの春に私は社会人としての一歩を踏み出しました。

配属エリアは高校時代からなじみ深い新札幌。

比較的大型校で、私の含め3名の新卒社員が配属となりました。

「本当にパソコンインストラクターとして仕事ができるのか」

そんな不安に押しつぶされそうでしたが、「東京での研修内容はマスターできている」という自信が支えとなっていました。

ただ、そんな自信も10日ほどで幻に。

私が勤めていたパソコンスクールは完全個別指導で、一人ひとりテキストも進み具合もバラバラだったので、大混乱に陥ってしまったのです。

パソコンの操作方法も教え方も分かっているのに、全体の状況把握が全くできず、生徒さんをお待たせしてしまったり、予定していたところまで進めることができなかったりということが続きました。

ただただパニックになるばかりで生徒さんに申し訳ないことばかり。

悔しく情けなさ過ぎましたが「早く一人前になりたい」と、休みの日も仕事のことばかり考えていました。

「どうやったら異なる複数のことを同時進行で進められるのか」

マルチタスクに関する書籍を読み漁ったり、仕事の時は他の先生の授業を見学して自分との違いをみつけるようにしたりと必死でした。

一番効果的だったのは、想定される授業の進み具合を事前にいくつか考えてイメトレしておくことですね。

3か月くらい経った頃から少しずつではありますが、臨機応変に状況判断をして対応できるようになってきました。

▲ピンクの制服が激しく衝撃的でした。金ボタンにも抵抗感しかありませんでしたが、着続けていると不思議と愛着が湧くものですね(笑)

どうしても譲れなかった想い

マルチタスクを覚え、すっかり仕事にも慣れて2年目を迎えた時、環境変化が起きました。

私自身は異動しませんでしたが、教室のメンバーがガラッと入れ替わったのです。

「新しいメンバーとうまくやっていけるだろうか」

こんな不安でドキドキしていたのは一瞬で、年が近いメンバーばかりだったということもあり、2年目からはかなり居心地のよい職場環境となりました。

正直な話、職場というよりも学校に近かったかもしれません。

もちろん授業はしっかりきっちりやっていましたが、休憩時間は学生時代のような気楽さと自由さがありました。

3年目になっても異動がなく、気付けば教室で一番の古株に。

生徒さんのことも全員把握できており、授業内容で教えられないこともない。

特に困ったこともなく仕事をしていましたが、この頃から私の中にある疑問が生まれてきました。

それは「生徒さんが本当に学びたいことを学んでいない」「生徒さんに必要な学びを提供できていない」「生徒さんにプラスにならない学びばかり提供している」ということ。

私が勤めていたパソコンスクールは完全個別指導ではあるものの全国一律のカリキュラムで、会社が推奨している検定試験ばかり優先したサービスメニューだったので、個別の事情に合わせた対応が難しい状況でした。

もちろん全く意味がない、役に立たない授業をしていたつもりはありません。

ただ「生徒さん一人ひとりに合わせた授業がしたい」という想いが日に日に強くなっていきました。

そして、会社から与えられたことだけできても「これから先の成長は見込めない」とも感じたのです。

当時はまだまだ超氷河期。

退職して次の仕事がみつかる保証などどこにもありませんでしたが、「妥協して現状維持をしていても衰退するだけ」と心を決め、入社から丸3年経った2003年3月に新卒で入社した会社を退職しました。

▲勤務最終日。せっかくいただいたお花が後ろ向きなのが、おっちょこちょいな私らしい。同僚にも生徒さんにも恵まれて、楽しい3年間を過ごせました。

旅好きの原点は新卒時代

社会人になってから、一気にハマりだしたのが旅行です。

特に新卒入社の会社にいた3年間は、同期や同僚のおかげで行動範囲がグンと広がりました。

両親からもらっていたお小遣いではなく、自分が働いていただいたお給料で旅行の計画を立てられるのも独り立ちできたようで嬉しかったですね。

同僚といった東京ディズニーランドは旅行当日ももちろん楽しかったですが、行く前の方が特に楽しかった記憶が残っています。

休憩時間にガイドブックを見ながら「ここに行こう」「これを食べよう」と話したり、何を着ていくか考えるのも楽しかったです。

週末は同期と遊ぶ機会も多く、当日は私も車を所有していたので、道内各地へドライブすることもありました。

温泉旅行にも行きましたね。

東京研修が同じスケジュールだった同期とは、20年経った今でも連絡を取り合い、定期的に合っていますが、この頃の話はいつも盛り上がります。

私にとってかけがえのない大切な想い出を一緒に共有でき、分かち合える人がいるというのは本当に幸せなことだと同期にはとても感謝しています。

そして、人生初の海外旅行も同期と行きました。

1年目の時に「来年はハワイに行こう」と盛り上がり、コツコツお金を貯めること半年。

始めてのハワイは、どこを見渡しても新鮮なことばかりで、わくわくしっぱなしでした。

豪華なホテルに青い海。

ボリューミーな食事に適当なのに通じた英語……と、想い出は尽きません。

3年目には韓国にも行き、ハワイとはまた違う経験ができました。

出不精だった私が、旅行好きになり行動範囲が広がったのはこの時の経験のおかげです。

楽しい経験の積み重ねが、フットワークが軽く行動的な私へと変えていってくれました。

9か月の時を経て、満を持してスタートした社会人シリーズの自分史。

次回は「2社目のパソコンインストラクター編」で転職したパソコンスクールでの出来事やその頃の想いを綴っていきます。

不定期更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。


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宮治 有希乃の写真

宮治 有希乃

組織育成パートナー

ITベンチャーと人材ビジネス業界で11年間、組織人事・キャリア領域に取り組み、2018年に独立。現在は中小企業向けに、関係の質を高める組織育成プログラムを提供中。「関係の質」を高める「コミュニケーションスタイル診断」を活用し、研修やコンサルティングを通じて組織パフォーマンスの向上と健全な職場環境づくりを支援している。

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