【宮治の自分史 #04】平成ダイジェスト編
2019年4月30日
カテゴリー: 自分史
平成最後の日を迎えましたね。
日付が変わり令和を迎えても私の日常は何も変わることはないのですが、「自分の人生の3/4が平成だった」と考えるとちょっぴりしみじみと感慨深い気持ちも湧き上がってきました。
と同時に「私は平成の時代をどんな風に過ごしてきたのか」と、ふと蘇ってきたりもしたので、「宮治の自分史シリーズ」特別版としてまとめてみることにしました。
駆け足とはなりますが、今回は「宮治の平成30年の歩み」をご紹介します。
★参考情報:「宮治の自分史」シリーズの記事一覧
平成前期は学生時代~行動心理が面白く、刑事ドラマにハマる
平成元年1月8日。
昭和から平成に変わった日、私は札幌に住む小学5年生でした。
正直、平成に変わった時に何を思っていたのかは全く覚えていないです。
ただ、元号が変わったことよりもインパクトのある出来事が起きたことはハッキリと覚えています。
平成になってすぐに父の転勤が決まったのです。
平成元年4月に家族全員で長野県松本市へ引っ越すことになり、慣れ親しんだ札幌を離れることになるとは夢にも思っていませんでした。
★参考記事:幼少期から小学生時代について
宮治の自分史【誕生~小学生編】#01
自分史でご紹介していない小学校時代のエピソードは、「テレビドラマを観はじめたこと」が印象深いです。
初めて観たドラマは、最近再放送もされていた「東京ラブストーリー」。
特にときめく感じは全くなく「大人の恋愛って面倒なんだな」と、やや冷めた感想を持っていたことをよく覚えています。
そのためあまり恋愛ドラマは観ていませんが、唯一ハマったのは「あすなろ白書」で、大好きな俳優のひとりである西島秀俊さんも出演しているので、今でも懐かしく観ることがあります。
正直、今の時代には合わない演出やシチュエーションもありますが、いつ見ても「あすなろ抱き」は鉄板の胸きゅんポイントですね。
妄想で胸がいっぱいになります。(割と乙女かも?!)
あと当時は「火曜サスペンス劇場」が大好きで、この影響か今でも2時間サスペンスドラマは、欠かさず録画して観るのが日課でした。
刑事ドラマは、人生における人間の心の変化や行動の動機を知ることができるような気がして、恋愛ドラマよりも奥が深いと感じているんですよね。
こうして振り返ると、中学生の頃から行動心理の分野に興味があったんだなと感じています。
▲中学生の頃から旅行も楽しくなってきました。松本時代は家族で善光寺に行くことが多かったので、とても想い出深い場所です。ここで食べたおやきやおそばの味は格別で、今でもハッキリと覚えています。
★参考記事:中学生・高校時代について
宮治の自分史【中学生~高校生(前半)編】#02
宮治の自分史【高校生(後編)編】#03
心のトキメキを教えてくれたジャニーズとの出会い
平成4年4月に札幌に戻ってきてからは、現在までずっと札幌に住んでいます。
この頃から、今の趣味に繋がるマイブームが増えてきて、とことんハマっていきました。
例えば私は「ライブ(コンサート)に行くこと」が大好きですが、その原点は高校時代から急激にハマったSMAP!
私が小学生の頃は光GENJIが大流行していて、おばあちゃんがたくさんグッズを買ってくれたりもしていたのですが、私としては光GENJIの後ろで微妙なダンス(?)をしていたSMAPが気になって仕方なかったのです。
SMAP好きに拍車がかかったのは、ライブでした。
ジャニーズが好きな友達に誘ってもらって、平成6年夏の「SEXY SIX SHOW」のツアーに参加した時は、とにかく大興奮!
ギリギリにチケットを取ったので、2階席の後ろの方ですが、ただただ生SMAPに感動して、SMAPのライブに行くことがライフワークのひとつになりました。
大学生の時に、若干GLAYや倖田來未のライブを優先するようになりましたが、SMAPは今でも大好きで、いつの日か一瞬でもいいので5人揃ってのステージを観れたらと願っています。
SMAP解散後、しばらくジャニーズからは離れていましたが、現在はSexy Zoneがオタクを自認するほどかなり好きです。
★参考記事:大学時代について
宮治の自分史【大学アルバイト編】#05
宮治の自分史【大学生活編】#06
宮治の自分史【新卒就活編】#07
平成中期は社会人第一ステージ~学びを力に
平成12年4月、2000年のプレミアムイヤーに、パソコンインストラクターとして私の社会人生活が始まりました。
パソコン自体は大学4年生の時に短期集中で操作できるようになっていましたが、インストラクションは全くの別物。
社会人になってから必死に身体に染み込ませていきました。
新卒1年目はとにかく必死!
生徒さんの役に立ちたい一心でプライベートの時間もインストラクションの練習や資格取得の勉強を積み重ねる日々でした。
2年目になると仕事を楽しめる気持ちのゆとりも出てきましたし、同期や同じ学校の同僚とも仲が良かったので、平和な新卒時代を過ごせたと感じています。
ただ、パソコンインストラクターとしての経験を積むにつれ、営利目的のサービス設計に疑問が溢れはじめ、生徒さんのニーズに合わない授業しかできないもどかしさが、段々抑えられなくなっていきました。
結局、丸3年で退職決意。
退職後は、教員採用試験を受けることも検討しましたが、パソコンインストラクターを続けることにし、生徒さんのニーズに合わせた授業をしやすい中小企業のパソコンスクールに転職しました。
転職したことで、担当する授業が増え、また勉強の毎日です。
「生徒さんがどこでつまずき、分かりづらいところはどこなのか?」と色々考えながら、勉強をするのがとにかく楽しかったですね。
あと、会社で資格取得も推奨していたこともあり、当時のOffice系パソコン資格はほぼ取得したことで、スキルに対する自信も持てました。
★参考記事:パソコンインストラクター時代について
宮治の自分史【新卒パソコンインストラクター編】#08
宮治の自分史【2社目のパソコンインストラクター編】#09
ただ、パソコンインストラクターの仕事にやりがいを感じれば感じるほど、私の中で葛藤が芽生え始めてきたのも事実です。
特に「あと半年で30歳になる」というタイミングでの葛藤はすさまじいものがありました。
・パソコンの普及により、パソコンスクール業界全体の将来性が厳しくなると予想される。 ・転職やキャリアチェンジの相談を受けても、パソコンスキルを身につけてもらうことでしかサポートができない。 ・週6勤務で、1日の拘束時間が長い働き方を30代になっても続けられるのか。 ・このまま続けても昇給の可能性はほぼゼロでこの先もやっていけるのか。 |
散々迷って葛藤した結果、30歳になる14日前に人材ビジネス業界に転職し、キャリアチェンジをしました。
全くの未経験で飛び込んだ業界ですが、元々興味のあった人の心や思考パターン、行動原理についての学習欲が爆発的に増加したこともあり「学び×現場実践」を積み重ねる日々。
ワーカーホリックだったのもこの時代です。
自分が想像できない行動を取る人を目の当たりにして「どんな状況でも対応できる人になりたい」という想いが原動力となりました。
★参考記事:人材ビジネス業界時代について
宮治の自分史【人材ビジネス業界編】#10
今の私の土台は、30代に学んだものがベースと言っても過言ではありません。
陽転思考をはじめ、NLP™、心理学、知識創造メソッド、宝地図など、30代はとにかく学んで現場で実践してを繰り返して、毎日筋トレしている感じでしたね。
キャリアコンサルタントとして活動し始めたのも30歳の時で、キャリアコンサルタント養成講座を受講した後、産業カウンセラーとGCDF-Japanキャリアカウンセラーの資格を取得し、今に繋がっています。
ストレングスファインダーでも「学習欲」上位の私なので、令和になっても何かしら勉強し続けるのは間違いないですね。
▲和田裕美さんから学んだ陽転思考で、スーパーネガティブ体質もポジティブ疲れも克服できました。学びそのものにも影響を受けましたが、それと同じくらい全国各地に学びの仲間ができたことも心の支えになり、今も感謝の気持ちでいっぱいです。この時の学びと自分自身の経験を融合させて「心地よさを選択する思考のコントロール法」をお伝えすることも増えてきています。
▲大好きなトシさんこと望月俊孝さん。トシさんに会いたくて宝地図を学びに行ったことがきっかけで、多くの方の夢実現を加速するお手伝いができるようになりました。またトシさんのセミナーでドリームサポーターやりたいです。
平成後期は社会人第二ステージ~今に繋がる変化
私が平成の時代で2番目に印象に残っている日は、平成25年10月2日です。
結婚願望ゼロだった私が、入籍した日です。
夫と初めて話をしたのは、平成24年10月14~15日に開催された「フォトリーディング集中講座」でした。
受講生が30人くらいいる中で、私が最後に挨拶したのが後に結婚することになる夫。
「ん?この人、挨拶したっけ?というか、いたっけ?」と思いながら、名刺交換しました。
この時は「あー、税理士さんなんだ」と思ったくらいで、特に印象に残ることなく社交辞令的な挨拶だけで終わった気がしています。(思い出せないほど印象にない笑)
正直、税理士をはじめとする士業の方は、当時私の周りにはいなかったですし、財務経理が苦手な私には、士業の中でも税理士は縁遠い人だと思っていました。
そして、夫のことは特に見た目も雰囲気も好みというわけではなかったというのもありますし、私のことを「変わった奴だな」と思っていると察した瞬間があったので、まさか結婚するとは夢にも思わなかったです。
人生何が起こるか、本当に分からないものですね。
結婚後は、お互いを尊重しながら過ごしていることもあり夫婦というよりはパートナーと表現した方がしっくりきますが、私たちにはそれが合っているのかなと思っています。
▲入籍から8か月後に挙げた結婚式のウェディングケーキは、私の好み炸裂で、アルパカをモチーフにしてもらいました。大好きなおじいちゃんに参列してもらえなかったことが心残りではありますが、眩しいくらいの晴天でガーデンウェディングができたのは、おじいちゃんが空から太陽を照らしてくれたからだと感謝しています。
▲夫と一緒に行った屋久島・鹿児島旅行。完全に泣きながら屋久島の縄文杉を見るために頑張ってきました。縄文杉の前にウィルソン株を見て、正直満足してしまった私ですが、気合で何とかゴールまでたどり着き、縄文杉もこの目で見てきました。ただあまりの疲労感と、今来た道をまた戻るのかという絶望感の方が強くて、縄文杉のパワーはあまり受け取れなかった気がします。
バセドウ病と父の旅立ち、新たなスタート
平成終盤の直近3年くらいから、私の生き方自体が大きく変化してきました。
甲状腺の病気(バセドウ病)と婦人科系の病気(巨大化した子宮筋腫)を同時に患ったり、そのことで働き方を見直したり。
そして何よりも父が他界したことで、私自身の価値観が大きく変わってきています。
父が他界した平成30年11月10日が、平成で最も印象に残っているのですが、半年近く経つ今でも、ふと父のことを想い出しては、涙することもあります。
ただ、いつでも近くで見守ってくれていると感じることができるので、父の存在は今でも大きな励みです。
あとは、オンラインサロン(西野亮廣エンタメ研究所)に入ったことも、私にとっては転機になりました。
西野さん自身もとても魅力的な方ですが、サロンを通じて出会えた方とのご縁がきっかけで、視野が広がり、自分にはまだ伸びシロがあると可能性を信じられるようになってきたのが、大きな変化です。
このような流れから、平成30年10月にはこだわっていた会社員を辞めて、フリーランスとしての一歩を踏み出しました。
社会人第三ステージの始まりです。
★参考記事:会社員にこだわっていた私が、フリーランスになった理由
無計画で方向性も決めきれてなかった状態が続いていましたが、ようやく平成最後の1ヵ月でクリアになってきたという手ごたえを感じはじめています。
これからは【人と組織の「自走力」を高め、自ら考え、自ら行動できる社会づくりに貢献すること】を軸に活動をしていきます。
また「仕事で全国を飛び回りながら、ご当地グルメを食べつくす」というライフスタイルも実現していきたいですね。
最近は、自分の目標について公表するようにしているのですが、希望しているお仕事に巡り合える機会がグンと増えました。
「自信がなくても宣言する」
令和になっても続けていきます。
▲はとバス2.0のような「DJバス」。30人限定でしたが早起きのおかげでチケットをゲットでき、乗車してきました。スミノフ片手に歌って踊りながらの東京観光は本当に楽しくてあっという間!あと、DJバスに同乗していたSHOWROOM前田裕二さんが、どんな時でも本当にメモを取る姿を間近で見て「この人は本当の本物だ」と大ファンになりました。
平成後期を語る上で外せないこと~ファイターズ
最後に書いておきたいのが、ファイターズのこと。
ファイターズが北海道移転してきた当初はあまり興味はなかったのですが、平成19年に職場の人に誘われて札幌ドームに行ったのをきっかけに、今では完全な熱烈ファンです。
毎年20~30試合は現地観戦をし、応援をしています。
お気に入り選手は、糸井喜男選手(現・阪神)に始まり、糸井選手の移籍後は、1年に及ぶ迷走期間を経て、今は中島卓也選手を中心に応援しています。
あとオリックスから移籍してきた金子弌大投手も好きです。
ファイターズ観戦は、両親と行くことが多く、親と過ごせる大切な時間でもあります。
今シーズンは母と2人での観戦ですが、父が好きな斎藤佑樹投手のタオルを持参して、一緒に応援しています。
ファイターズは勝っても負けても、強くても弱くても特別なので、令和になってもずっと応援し続けます。
▲ファイターズ感はあまりない写真ですがお気に入りの1枚です。各球団のマスコットが大好きで、一番好きなドアラと写真が撮れて浮かれている時のものです。当時は好きな選手が決められず何となく大谷翔平推しみたいな感じで、#11のユニフォームとタオルを身につけていました。
令和の宮治は…?!
昭和に生まれて、平成で成長し、令和はどんな日々を送るのか。
コツコツ丁寧に、心地よく生きていける選択を重ねていけば、自分が望む道に進んでいけると信じて、令和の時代も歩んでいきます。
令和の宮治も末永くよろしくお願いいたします。
●プロフィール
●ReOS LABOの提供サービス
●お問い合わせ・お申し込み
宮治 有希乃
組織育成パートナー
ITベンチャーと人材ビジネス業界で11年間、組織人事・キャリア領域に取り組み、2018年に独立。現在は中小企業向けに、関係の質を高める組織育成プログラムを提供中。「関係の質」を高める「コミュニケーションスタイル診断」を活用し、研修やコンサルティングを通じて組織パフォーマンスの向上と健全な職場環境づくりを支援している。